尾田組 尾田組

会社概要

会社名 株式会社尾田組
代表者 尾田安信
創立 天保元年(西暦1830年)
当社に現存する最も古い資料である奈良奉行所発行の鑑札によれば、少なくとも同年には現奈良市春日野町において営業活動をしていた
設立 昭和28年3月
奈良市春日野町16番地において法人登記
平成17年11月本社を移転
本社 〒630‐8301
奈良市高畑町738番地2
TEL. 0742-26-6011 
FAX. 0742-22-6811
大阪営業所 〒541-0054
大阪市中央区南本町1-3-2
TEL. 06-6261-9103 
FAX. 06-6261-9121
東九条倉庫 〒630-8144 
奈良市東九条町772番地
営業種目 土木工事設計施工
建築工事設計施工
文化財建造物模型製作
祭事・伝統行事運営管理
資本金 5,000万円
取引銀行 南都銀行、三菱UFJ銀行、
りそな銀行、三井住友銀行
建設業許可 国土交通大臣許可(特定)
第1600号
建築士事務所 一級建築士事務所 
奈良県知事登録 
第2023(そ)21号
宅地建物取引業者 
奈良県知事(15)第550号
ISO ISO9001:2008 JQA-QM6689、
ISO14001:2004 JQA-EM6885
主要御下命先
敬称略・順不同
宮内庁、国土交通省、
農林水産省、文部科学省、
文化庁、
奈良県、奈良市、県下市町村、
東大寺、春日大社、興福寺、
氷室神社、五劫院、新薬師寺、帯解寺、唐招提寺、元興寺、他各社寺、
古都飛鳥保存財団、
国立文化財機構、市立奈良病院、南都銀行 他

 

募集要項/平成30年度新卒者採用

 
江戸時代
奈良で宮大工としてスタートする
1830年(天保元年)
奈良奉行所が発行した鑑札が、現在残る最も古い資料のため、この年を創業元年とする。
最初の営業は、東大寺関係の寺社修理が重要な事業であるため、東大寺門前から東へ5分の、
野守の里(手向山八幡宮の下馬札が建っている場所)で大工や土工たちの長を務めるようになる。

 

明治時代
明治に入り、東大寺、興福寺、春日大社に近く、また奈良市の近代化に伴う新建築の仕事をするため、
現在の国立博物館旧館付近に、本社の場所を移す。

1883年(明治16年)
5代目棟梁 尾田利平が明治時代の発展を担う。
1885年(明治18年)
宮内省の発足に伴い、宮内省御用達の企業に指定される。
以後、奈良県内を主とする多数の御陵の修復工事を宮内省から承る。
1888年(明治21年)
良質の技術者集団による、尾田組の協力会「友集会」が組織される。
1889年(明治22年)
国威発揚のため、東京・京都に続いて奈良にも帝國博物館を建設するという政府の決定に伴い、
本社を春日野町二番地に移転する。
1890年~1891年
(明治23年~明治24年)
国内外からの賓客をお迎えできる場所として、奈良を代表する高級料亭の菊水楼本館を建築する。
1892年~1894年
(明治25年~明治27年)
帝國博物館の建築を清水組(現在の清水建設)と共に請け負う。
欧米諸国に負けない立派な博物館を建設することを目的に、木骨煉瓦造り平屋モルタル外装の
ネオ・バロック様式の洋風建築が完成し、奈良公園の入り口を飾ることになる。
1895年~1899年
(明治28年~明治32年)
5代目 尾田利平の方針により、古社寺の修理工事と共に、事業を土木工事へ拡大する。
芳山林道の開削、道路の改修、雪消の沢や鷺池の造営、春日野運動場の建設等の事業の多くに携わり、
奈良公園の大部分を整備する。
1899年~1900年
(明治32年~明治33年)
春日奥山周遊道路の建設を行う。
奈良実業協会の提唱を受けて奈良県が計画したもので、全長11㎞の林道を4mに拡幅・改修した。
沿線は天然の風光に恵まれ、紅葉の名所もあり、観光客を呼び込んでいる。
1908年~1909年
(明治41年~明治42年)
奈良女子高等師範学校の本館を請け負う。
当時、女高師は東京だけに置かれていたが、文部省が明治31年に作成した計画により奈良に
設置されることが決定した工事であり、構造計算を厳密に行ったうえで設計・施工を行い、
優雅な洋式木造建築が完成した。

 

大正時代
この頃より民家の修理や新築の仕事も拡大していく。

1915年(大正4年)
奈良県内を主とする多数の御陵の修復工事を宮内省から承る。
大正4年に作成された文書「宮内省諸陵工事請負設計書類」から分かる。
1921年(大正10年)
6代目棟梁 尾田利吉が経営を担う。
1922年(大正11年)
生駒山登山自動車道路新設工事を請け負う。

 

昭和時代
戦後の混乱期には寺社関係の伝統的技術を要する仕事が全く無くなり、事務所・個人住宅などの
一般建築工事や土木工事が増えたため、宮大工の要素を残しながら、総合建設会社へと発展する。

1946年(昭和21年)
7代目支配人 尾田利一が経営を担う。
第二次大戦後も、正倉院修繕工事や、京都御所内の宮内省事務所の新築工事を施工する。
1950年(昭和25年)
近鉄奈良駅改良工事施工。
進駐軍家族住宅建築工事施工。
1953年(昭和28年)
株式会社尾田組を設立する。
一級建築士事務所に登録。
1988年(昭和63年)
なら・シルクロード博覧会 奈良公園館建設。

 

平成~
建築と土木の技術を総合した宮大工の伝統をひく会社として、1300年以上続く奈良の景観と風情を維持する
役割を果たす、という使命を自覚した営業を続け、国・県を始めとする各市町村の工事を受注する。

1991年(平成3年)
県新公会堂前整備工事。
1992年(平成4年)
8代目 尾田芳信 代表取締役社長に就任する。
1993年~1996年
(平成5年~平成8年)
平城宮跡 東院庭園整備事業。
特に北東建物は、構造体を古代建築として復元しつつ、内部では鉄骨やガラス等の新建材を多様した。
平城宮跡において、現代的な機能を兼ね備えた復元建築は、初めての試みである。
1997年(平成9年)
JVにて、奈良県庁舎のリニューアル工事を請け負う。
2001年(平成13年)
ISO9001認証を取得する。
2006年~(平成18年~)
平成18年に本社を奈良市高畑町738番地2に移転。
平成20年に本社跡地に総合観光飲食施設である、夢風ひろばをオープンする。
2012年(平成24年)
ISO14001認証を取得する。
2021年(令和3年)
9代目 尾田安信 代表取締役社長に就任する。